なんで親に甘えられないの?

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最北で湯治療養をしながら、11年、小さなcafeとシェアハウスを営みつつ、私自身の経験を

全て活かしたライフワークとして「深い自己信頼」に繋がるトーク∞ヒーリングというお話ヒーリングを続けています。

親に甘えられなかった理由を聞かれて逆に驚いた

しばらく前にたまたま観始めたYouTubeチャンネルで

不登校や引きこもりの方の自立支援施設を運営している方と

メッセージのやり取りをする機会がありました

様々な親子関係の問題を実際に現場でリアルに感じてきたであろう方。

「なんで親に甘えられなかったの?」って質問に、

「物心ついた頃から、母には、(うちは父が45歳の時に私が生まれて、他の子たちより

一緒にいられる時間が短いかもしれないからという理由だったらしい)絶対にパパを悲しませたら

いけないよ」と事あるごとに言われ、父からは、「お前は良い子だから、可愛がってもらえるし

愛してもらえるんだからな」と言われていたので、本気で、親に逆らったり、悲しませたり

良い子でいないと、この家の子供じゃいられなくなるって信じて生きていて、高校卒業するまで

口ごたえすらした事が無かった」エピソードを答えたら、「まぁ、そりゃ、甘えられないわな」と。

心理学でいうと、小さな子供にとって、この家の子じゃいられなくなるは、=「死」をイメージ

する程恐ろしい事だと、精神科医のカウンセリングで言われ、私の中に根深くあった「恐れ」の

根っこはそれだったのかと、腑に落ちた事がありました。

全部理由がちゃんとあるよ

私は中学3年生の時に、自らの命を絶つ事で、もう、自分を助けてあげよう、解放してあげようと

しました。あの時、いつもの帰宅時間より、なぜだか2時間近くも早く父が帰ってきて発見されて

いなかったら、病院での処置は間に合わず、私は今ここにはいません。どうしてそうなったのかは、絶対に誰にもわからないと思います。だって、良い子だったから。きっと、何も問題なく学校へ通っていたし、特にトラブルもなかったという事で終わっていたと思います。

小学生の頃には、学校創設以来初の女子児童会長になり(もちろん父の決めた事)

小学生から高校生まで続けていた剣道や居合道では全道大会で優勝やベスト3入りを何度もし

自宅の玄関入ってすぐの所に置かれたガラスケースの様な棚には、沢山のトロフィーやメダル、

居間の壁は賞状だらけでした。中学校の弁論大会では最優秀賞をとり、高校は当時、剣道の

恩師だった先生が指導に行っていた、道立高校へ推薦で入る為に、医大生の家庭教師がつき

1年間、テレビを観る事も友達と遊ぶ時間もありませんでした。

40度の高熱があっても剣道の練習は休ませてもらえず、練習中に倒れて運ばれた病院では

「娘さんを殺す気ですか」と、先生が言ってくれた程でした。もちろん、高熱なんて出して

しまった私は、それすら父から酷く叱られます。何時間も。自己管理がなってない!と。

当時どんな生活だったのか、正直リアルな感覚としての記憶がありません。私が自分で自分の

命を絶とうと実行するもうずーーっと前から、心が先に死んでしまっていたような感じで

ただ、言われた通りに生きていたので、実感が残ってないんです。

これらの事については、私の中ではもう、被害者ではなく、「経験」という、私の人生の

歩いてきた道のりのエピソードとして、当時の私を私自身が救ったのと、これは、相手に

よって、そういう見方で話をするかどうかは違うのですが、ある意味、家系的に続いてきた

カルマを断ち切る役割もあったのだとわかったので、父や母に対しても、今では、ただ、

命を与えてくれて、父は父なりに、母は母なりに、精一杯愛し育ててくれたんだと心から

感じられています。今、目を閉じて、父と母の顔をイメージしてもいつも笑顔。父や母、

沢山の御先祖様たちに護られている感覚もいつもあります。

今、生きている経験者として私にできる事

子供の虐待、自ら命を絶つニュースを観る度に、胸が苦しくなって、内容は読まない様に

していた頃もありました。でも今は、「それを経験した私だからできる事」がある

信じています。トーク∞ヒーリングで、10歳の子から80代の方まで、幅広い年齢の

皆さんと御縁をいただきました。おかげ様でというか、様々な経験をし、今、自分自身と

深い「自己信頼」で繋がっている私だから出来るアプローチがある事を実感しています。

「逃げていいよ」「甘えたらいいじゃん」「なんで我慢するの?」

本来なら、今苦しんでいる子の心を助けたくて発せられたであろう言葉たちを耳にすると

「それが出来たら誰も自分で命を絶つなんて怖い事しないよね」って、私の中で、今は

いつもくつろいでいる私が言います。

命を絶つって、怖いです。

でも、実行する時には、それより遥かに、その後生きている事の方が怖いしかイメージできないんです

ある意味、自分を救ってあげる方法はそれしかない。という境地に追い込まれているから。

親自身も自己信頼ができていなかった

私の両親も、私も、今生きている人誰しも、生まれてから亡くなる瞬間まで、現実何があろうと、

何一つ欠けている部分も、足りない所も無い、完全で完璧な命、存在です。

でも、何かと誰かと比べて、何かで秀でて認めてもらえる存在にならねば、

という世界を信じて生きていると、

例え、自分自身を傷つけたとしても、他者を傷つける事になったとしても、それでも、

認められる存在という事の方が重要な様に感じてしまうんだと思います。

私自身、自己信頼へ辿り着く前は、様々な心の問題で、大切な息子の心を結果的に

深く傷つけてしまった事がありました。今もまだ、私の人生の道の途中、この先にも

様々なチャレンジはあると思います。

その人にしか歩けない道のりを生きて、経験というチャレンジを繰り返す私たち

自分や他者を傷つけてでも、社会で評価される、認められる。

そんな事をしなくても、そもそも、何一つ足りない所はないんです

私も、今生きている人は皆、「あなたにしかない、あなたの命を大切に生きて」という

何万、何千、何百もの願いの結晶、奇跡の存在です。

その人それぞれに、その人のタイミングがあります。

みんなそうやって、その人にしか歩けない、別々の道を生きています。

同じ道を歩いているように思ってしまうと、「あの人はなんでああなんだ」

「なんで気付けないんだ」「私なら絶対そんな事しないのに」「普通は・・・」

と、自分には歩けない、誰かの道のりの事で、悩んだり、怒ったり、モヤモヤ

したりが続きます。

現実、何があっても、

今、私は、この道を歩いているんだな。

あの人は、そういう道のりを歩いているんだな。

と、イメージできると、出来るから凄い。出来ないからダメ。

という、自分も相手も裁いてしまうジャッジがかなり少なくなるんじゃ

ないかと思います。

今日も、私の命、皆さんの命、ありがとう。

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