他の人と比べた事がないから。

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亡き父と息子と一緒に護国神社へ

用事があって、朝から私の故郷旭川市へ。

出発前夜にふと、父が亡くなってからは一度も行けていなかった

祖父の名前が刻まれている戦没者慰霊碑に、父の写真を持って、

16歳に成長した息子と一緒に、手を合わせて御礼を伝えに行きたい。と思いついて。

息子は1歳の頃に行ったっきりだったので、感覚的には初めての場所。

護国神社の澄んだ空気感と凛とした雰囲気が私は大好きで、久しぶりに

神社の敷地内へ入った瞬間にお腹の底からグワァーって喜びが込み上がって

きました。息子と来られて良かった、じぃちゃん(父)連れてきてあげられて

良かったー!!って、胸が躍っていました。でね、私は普段、護国神社では

写真は撮る事なかったんです。私にとって、特別なとても神聖な場所と感じて

いたので。でも、今回は、こうして、息子と、亡き父と一緒に来られる事は

もう無いかもしれないなって、神様に御挨拶と御礼を伝えた後に数枚だけ

撮らせていただきました。

参拝させていただく時には本殿の中央扉を少しだけ開けて良い事に

なっていて、本当に特別な場所を息子と一緒に感じる事ができました。

まずは、二人並んで参拝した後に、写真を一枚。

神様に、「息子、思春期につき、写真の際ポッケに手を入れたままで申し訳ありません」

私たち親子とも背を向けた状態で写真を撮らせていただきます。失礼致します」って

パチリしましたが、神様は全てをわかってくださっている、ただ、全てが愛なので、

聴こえてきたのは、「よく来たよく来た、気にするな~」でした。ありがとうございます。

足を一歩踏み入れただけで、空気感が変わります

本当に大好きな場所です

こちらでも、初めて写真を撮らせていただきました。

父の写真と一緒に。手を合わせた後に、背中を向けて失礼しますと、ご挨拶して一枚だけ。

以前のブログでも綴りましたが、父は、

戦死した祖父とは戸籍上では親子ですが、実際に血は繋がっていません。

20代前半の祖父が戦地へ向かう前に、無事に帰って来て子孫を残す

という事は現実的には叶えられないだろうという事で、当時は、家の名を残す為に

形だけ、戸籍上での結婚という事があったのだと思います。形だけとは言っても

恋愛結婚では無いですが、もちろん、出征前に祖母が妻として長平さんを見送ったはずですから、

今回、祖母が亡くなる直前までずっと身に着けていた私の手元にあるたった一つの形見のパールの指輪もつけてきました。

血は繋がっていなくても、生前の私の父や、その後に続く命を見守り続けて

くださっている事を感じています。長平さん、(私はいつも、おじいちゃん、ではなく

若くして亡くなっている事もあって、そう呼ばせていただいています)しばらく

こちらに来られなくてごめんなさい。今日は、祖母と、父と、息子と一緒に来られましたよ。

いつも、御守りくださって、ありがとうございます」と手を合わせると、凛々しい顔を

クシャクシャにして優しい笑顔で喜んでくださって、一緒に戦った沢山の仲間の皆さんが

「良かったなぁー、孫とひ孫が会いに来たのかい!嬉しいなぁー」って、長平さんの肩を組んだり、

背中を優しく叩いたりして皆さんも笑顔になってくださっている様子が見えて、本当に嬉しかったです。

戦没者慰霊碑は、大鳥居をくぐり、本殿へ入る手前の向かって右側の所にあります。

長平さんの遺骨はありませんが、沢山のお仲間の皆さんと、神様のすぐ側で、

いつも、優しく穏やかに安らかに眠られています

秋風は感じながらも、太陽の日差しが強く、とても暑い旭川でした

異国の地で、強い暑さの中、食べる物も飲める水も限られた状況で

怪我の処置をキチンとする事も出来ず、20代前半だった長平さんが

たくしてくださった私たちの命。今までもこれからも、一緒に生きて

私の身体を通して、沢山味わい、感じてくださいね

「今日の旭川も、暑いねー、長平さん、御先祖様」(普段は、くだけた感じで

話しかけたりもします)「ホントだねー!でも、今は便利な物が沢山あるみたいでビックリするよ」って皆さん、ウンウン頷かれていました

12年前に息子に言った言葉を、今、私が言われた日

湯治療養中につき、お店の営業も不定期営業にしているのですが、今回はどうしても

旭川まで行かなければならない事があり、往復8時間の運転でしたが、それを何とか出来る所まで

回復できたという自信にもなりました。中学生になった頃から今は高校生になった息子は

普段、ほとんど自分の事を話しません。大きな反抗期という感じは無くて、逆に、感情溜め込んで

いないかな・・・って思った頃もあったけれど(心配のエネルギーは送りたくないので、最終的には

信頼して私はいつも通りにしています)学校でのエピソードなど、親も関わる事などは、キチンと

説明してくれるし、挨拶や私が聞いた事などには思春期っぽい態度ですが、答えます。

でね、今回の往復8時間の車中、行きの車中はほとんど寝ていた息子ですが、帰り道、ずっと会話しっぱなしという程に、今の息子の状況や感情など、16歳の息子の世界を彼の表現で聴く事が出来て、私の想いも、私の言葉で伝えられて、正直運転は疲れましたが、初めて聞く事も沢山あって、私にとってはとても嬉しい時間になりました。現実には、悩みもいっぱいだし、うまくいかない事も沢山。それはきっと、いくつになっても命が終わる時まであるだろうけれど、これまでの私や息子の生きて経験してきた道のりと、これからの私と息子の成長を信頼できた時間でした。

家に着く少し前にね、思春期になってからは一度も聞いた事が無い事を聞いてみました

「私の肌の事」

色々な言葉があったけれど、息子が私に伝えてくれたのは、

「今、痛いんだろうなとかは、もちろん見てて感じたりはしたけど、正直、俺にとっては、

何がどういう状態になっても母ちゃんは母ちゃんだから、気にした事無いっていうか、

それがそのまま母ちゃんだから、ホント、それだけ」

痛みをともなう炎症はほぼ治まったけれど、生まれ持った素因に

入退院しながら30年以上飲んで塗ってを続けてきたステロイド、プロトピック、

ネオーラル。止める度に、壮絶なリバウンド状態で、今の私の肌は

何をつけても接触皮膚炎の様な状態で、ケアすら肌の負担になるというのが現実です。

今は湯治のみですが、痛みが治まって有難い。よく頑張った、私の命。

ちょっと前までは、小さい頃から社会人になっても言われてきた数々の言葉の記憶や

実際、見た人を驚かせてしまうから・・・と、出せなかった二の腕や脚も

「これが私だ」と、堂々とありのままで過ごせるようになりました。

母ちゃん自身が、今の自分を誇りに思っているし、信頼してるからさ、ホント、

ぶっちゃけて正直に何でも言っていいよ。例えばさ、今日みたいに、沢山の人たちの中で

一緒に歩いたりしてる時にも、二度見、三度見されたりもあるじゃん。母ちゃんは

小さい頃から慣れているけど、今の〇〇は、ナンカ恥ずかしいなぁとか、感じたりは

しないの?」

「あー、まぁ、確かに、ビックリして見る人とか二度見する人とかいたかもしれないけど、

母ちゃんが俺にいつも言ってたけどさ、俺も、母ちゃんを他の人と比べた事無いからさ。

別に、正直なんとも思ってない。それより、車の方が恥ずかしいのはある」

え?!

車??(笑)

うちの車は、当時、元夫が、「買うのはこの車種のこの色!」と、実際運転するのは

私だけですが、「私にはこの車が似合う」という理由で、最終的にはいつもの脅しの

様な状態で勝手に決められ、色がね、さくらピンクという、その当時流行っていた色

なんです。ちょっと特殊なので、ワイパーも、タイヤも一般的な車より余計に高くつく

のですが、私の意見を言おうものなら、最後には、「俺がせっかく選んでやったのに

その良さがわからないバカには買わない。これは〇〇に買う車だから、お前のじゃないから」

という、典型的な発言ですが・・・。今でも、点検やケアを欠かさず、動いてくれて

いるので、有難く乗っていますが、息子は、特殊な形と色がとにかく恥ずかしかったみたいで。

私の肌は何とも思わないけど、車が恥ずかしいを、初めて教えてくれた息子が、ホント、

本人に伝えたら嫌がるから言葉にはしないけど(他の言動で伝わりまくっているけど)愛おしい。

息子が保育園に入ったばかりの頃にあったエピソードの時に、私がよく言っていた

「他の子と比べて見た事が無いから。そのままの〇〇が、ママは素敵だと思うよ」という言葉

12年経って、息子が同じ言葉を私に伝えてくれた時、「あ、そっか。そうだよね」って。

私は私。

息子は息子。

お互いに、自分にしか生きられない道のりを歩いてる。胸張って、生きてこうぜ!な、気分♪

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